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やまたつくんのトラブルカルテ

アラサー男子がトラブル解決策についてまとめるブログ

ものごとが広がる流行という現象のメカニズム

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こんにちは、小宮山です。

ビットコインという暗号通貨がブームになっています。

「ドルや円があるのに、決済するのになんで別の通貨が必要になるんだろう?」

って不思議でした。

だって無内容じゃないですか。

ビットコインで買えるものは限られてますしね。

今日のエントリは、流行という現象のメカニズムについて解説します。

子どもを見ていて思うのですが、あの子たちは大人からすると無内容なことになんであそこまで熱中するのか不思議です。

みなさんも何かしら、あるのではないでしょうか?

たとえば

  • ポケモンGoでポケモンを集める
  • スタンプを集める

昔であれば

  • メンコを集める
  • 切手を集める

などなど誰もが何かしらの流行に身をおいたはず。

離れて見てみると、いずれも無内容なのに、なぜわたしたちは何かにハマってしまうのでしょう?

仏教が流行ったメカニズム

ものごとが広がるメカニズムでもっとも参考になるのは、宗教です。

仏教をもとに説明します。

仏教をはじめとした東洋の宗教には「修行」がつきものです。

修行の目的は、ブッダのような提唱者と同じように悟りにいたることでして、そのために所定の戒律にそって修行僧たちは生きています。

修行僧にとって明らかなのは

  1. ブッダは悟った人である
  2. 自分たちは悟りに達していない

ことです。

ですが

「そもそもブッダが悟ったというのは、ブッダが自分で言っているだけであり、他人に確認のしようがない」

「悟ったとしても、自分で悟ったといわない人もいる」

「ある人物ともう一人が悟ったとして、まったく同じ悟りでるかどうかは分からない」

ですよね?

そもそも人が悟ったかどうかって、外部から証明できないんですよ。

つまり宗教ってのは、そもそもフィクションであり、悟りを証明するゲームに過ぎないんです。

ただしブッダの死後、2000年経って仏教が提唱するマインドフルネスが極めて有用であると科学的に証明されたので、仏教に関しては例外です。

ですが科学のない時代では、無内容に見えたはずです。

なぜそれでも流行ったのでしょうか?

ポイントは、仲間です。

いずれの宗教でも、「サンガという修行仲間は必須である」

とされ、強く求めています。

修行仲間がいると、何が起こるのか?

ルール違反を互いに告発するゲームが始まるんです。

悟りに至るにあたって、ブッダは「戒」と「律」というルールブックを作ります。

いわゆる「経典」です。

ブッダがいなくなったあとに残るものは経典であり、それを守っていくことになります。

  1. ルール違反を自己申告し
  2. 修行仲間とシェアし
  3. 自分で自分に懲戒を与える

ことで脱落者を防ぐだけでなく、他者からの承認要求も満たせる。

人間は他人から承認されないと、生きていけない生き物ですから、強力な縛りになります。

ルール違反を隠すこともできますが、それだと悟りには行けなくなります。

こうして宗教は流行っていったわけです。

イスラム教が流行ったメカニズム

イスラム教が流行ったメカニズムも同じです。

  • 仏教のルールブックは、戒律
  • イスラム教のルールブックは、コーラン

になります。

ただし仏教では戒律よりも上位にブッダがいるので、過去にブッダがした発言にたいする解釈を変えることで、高位の僧たちの合意を得られれば、戒律を変えることができます。

コーランは神がムハンマドに下した契約書という扱いなので、一字一句変えることはできません。

なのでイスラム教は、いろんな宗派が自分たちこそ正統派であると主張して血みどろの争いを続けている一方で、仏教は穏やかに広がっているんですね。

何かを流行させる方法

さてここで、宗教がはやるメカニズムから何かしらのものごとを流行らせる方法を考えてみましょう。

はやるためにはそもそも

「流行らせたいものの価値を、すでに信じている人 = 熱狂的なファン」

がいる必要があります。

宗教の場合は、すでに自分たちの力ではどうにもならない自然災害とか苦難があって困り果てている状態がありました。

そこで宗教にハマることで、それらを克服できるという実感を醸成させました。

感情でしか人は動きません。

感情がなんで生まれるかというと

「私を気持ちよくさせてくれる」

「私を気持ちわるくしない」

しかありません。

つまりこれがスタート地点であり、ほかに学ぶことなんかないんです。

「おもしろい」

っていう感情をとある人々に喚起させることがスタート。

そこから先は、

  1. ファンどうしの交流を強める
  2. ファンの中でのローカルルールを設定する
  3. ファンどうしで、どれだけルールに沿えたかを競い合わせることでコミュニティを強化する
  4. コミュニティに入ってない人たちと出会う頻度を高めていく

というのが何かを流行らせる戦略になります。

天才マーケターの糸井重里さんも、こう言っています。

職人として広告を作る側としてではなくて、
企業を運営してゆく視点から見ると、
テレビコマーシャルって、
あんなにお金を使っても、
「あるイメージに出会う頻度を高める」
というだけなんですよね、せいぜい。
そこに、信頼はないんです。

コマーシャルの結果とは、
高められた頻度のぶん、その情報が、
それぞれ「すでに信じている人」だとか、
「熱狂的なファン」に行き渡るということで。

だから、「すでに信じている」とか、
「熱狂的なファンがいる」という状態がないと、
コマーシャルをやること自体が、
意味がなくなる。

橋爪大三郎の『仏教の言説戦略』っていう本、
あそこに書かれていることに
尽きるんじゃないかと思うんです。

この本は、いかにして仏教は、
無内容なことで宗教として成り立っているか、
ということを滔々と説いていくんですけど。

やっぱり時間がかかるし、
思いきりが要るみたいなんですよ。
ものごとを広めるっていうのは。

あったほうがおもしろいものとか、
なんでなかったんだろう、っていうものを、生んでいいんですよ。

それでは本日のまとめです。

  • ものごとが広がるメカニズムでもっとも参考になるのは、宗教である。そもそも宗教って無意味なのに流行っている。
  • 流行を作るには、熱狂的なファンを作る →  ファンどうしの交流を強める → ファンの中でのローカルルールを設定する → ファンどうしで、どれだけルールに沿えたかを序列にして、競い合わせる → コミュニティに入ってない人たちと出会う頻度を高めていくのが基本になる。
  • 熱狂的なファンは少数で良くて、彼らを気持ちよくさせてくれる・気持ち悪くしないコンテンツであれば、無意味であってもOK。つまり、面白いと思わせるものであればOK。

うーむ・・・人間って感情の生き物で、フィクションを求めてしまう・なしでは生きられないってことが改めてよくわかりました。

では、また明日。

Ciao~。

仏教の言説戦略(サンガ文庫)

仏教の言説戦略(サンガ文庫)